江戸、明治の資産家かどやはハイカラだった!?鳥羽の歴史的な町屋の景観と幻の和製オルガン!
皇學館大学記者
有形登録文化財大庄屋かどや
旧鳥羽街道の藤之郷の道沿いにある、鳥羽なかまちのシンボル大庄屋かどや。建物は文政8年(1825年)に建てられ、そのうちの一部は明治17年に増改築されました。建物の西側と東側で、江戸と明治を合わせて感じられる造りとなっています。
廣野家のかどやは江戸時代に庄屋の中でも代表格である、大庄屋をつとめていました。廣野家の家系図を参考にみると、代々、「藤右衞門」を襲名しました。
商売で使われなくなってからその建物は、平成16年4月27日に廣野家より鳥羽市に寄贈され、平成18年3月2日に主屋・内蔵・土蔵が国の登録有形文化財として登録されました。建物の傷みが進行していたため、平成22年より24年にかけて修理工事が行われました。
きれいに整えられた庭
発展と衰退
江戸時代に約20年間、鳥羽藩の庄屋を担ったかどや。また、コレラが流行った頃にはいち早く対応し、成果を上げました。
それに加え、当時長い漁から帰り、体調の悪くなった人がすぐ薬を買って行くことがありとても重宝されました。
多額の上納金(一億から二億円ほど)を納める財力があったことから、鳥羽城内には廣野藤右衞門を通す専用の間があったと言われています。
薬屋を主に百五銀行の仮店舗として両替商まで幅広く営業していた。しかし港のあり方が代わり港町としてのかどやの役割がなくなり衰退していき戦前で幕を閉じました。
豪華に金メッキをあしらって作られた看板
居間の雰囲気
ハイカラかどや
現存しているのは4台のみ、明治時代に作られた「長尾オルガン」をご存知ですか?大庄屋かどやには、明治30年代に作られた幻の和製オルガン「長尾オルガン」があります。今でも、幻の和製オルガンを使ったコンサートが定期的に開催されています。
※ただし、現在はコロナ禍で自粛中です。
幻の和製オルガン(当時家が一軒建つくらいの値段であった!)
大庄屋かどやには、明治末期〜大正初期に製造された古いガラスが現存しています。当時のガラス技術は現在の技術よりも劣っていたため、ガラスが歪んでいるのが特徴です。現在では、逆にそれが貴重であり価値のあるものとなっているそうです。
ちなみに、当時の主流は障子です。
そして、もう一つ特徴のあるガラスがあります。むしろこっちの方が特徴があるのですが、それはステンドガラス風の色ガラスです。
大正時代に取り付け、当時のハイカラを取り入れ、家の空間を彩っています。色ごとに価値が変わり、赤は金粉を使い色を出しているため、とても高価だそうです。
ステンドガラス
最後に
私は取材を通して、大庄屋かどやは当時のオシャレさんであったのだと感じました。時代ごとに建物の作りの違い、お金のかかる貴重な品や鬼瓦の展示物から、当時の姿が蘇ってくるようです。そして、今は埋め立てられてしまいましたが、当時はかどやの東側は海であったことや鳥羽の町並みの資料が置いてありとても見応えがあります。
家主の廣野さんの人柄もよく、気さくに教えてくださる方なので是非足を運んでください。
当時高価であった瀬戸焼の大きいタイル
薬を作る道具