コーディネーターまちよが行く!~風の島 菅島編 第二弾~

こんにちは!移住コーディネーターの真千代です。

前回「風の島」で書きましたが、せっかく菅島に行ったのに、急勾配の山道を一人で歩いたため、猪妄想に怯え、標識を見逃し、灯台には辿り着けなかったので、必ずこのリベンジを!と心に決めていたある日、オフイスのお隣さんの伊勢志摩レポーターである濱地さんが「菅島に取材に行きますが…」と声をかけてくださいました。
おお、仏の濱地さん。早速同行させて頂く事に。

 

白波立つ海をまっしぐらに進む船
これ以上の晴天はないであろうという雲一つない日曜日。風は強く冷たいけど、絶好のハイキング日和です。
ちゃっかりと前々日に「しま弁」も予約しておきました。
釣り船が転覆しそうな位の強風のなか、白波立つ海上を定期船「潮騒」はかなりのスピードで進みます。デッキから後ろに見る本土側の風景が大好きで癖になってしまった自分でさえ気をつけてないと飛ばされそうです。
そして、わずか15分で菅島に到着です。

菅島を支えるご夫妻
定期船を降りると、何と「菅島の未来を考える会」の小寺雄一さん、三重県魚食リーダーで海女であるめぐみさんご夫妻がそこで待っていてくださいました。濱地さんが船に乗る直前に連絡をいれておいてくださったようで、さすが敏腕レポーター!とてもお会いしたかった方々なので嬉しい!
小寺夫妻にご案内して頂きながら菅島神社、令泉寺を巡ります。めぐみさんは岐阜から菅島にご結婚でいらした方ですが、島のいわれや伝統にとても詳しく、また空き家対策についても話が弾みました。今後、共に空き家について話し合い連絡を取り合える機会ができ、濱地さんに大感謝です。

 

しろんご浜ランチ
令泉寺見学後は、おかげやさんに戻って「しま弁」を受け取り、ここで小寺ご夫妻とはお別れし、一路しろんご浜を目指します。緩い坂を上りますが道は広く左に海をみながら進むので、前回のような恐怖心はありません。20分程でしろんご浜に到着。おお、今回は家族連れが浜辺で寛いでいます。前回の孤独な「漂流記」ムードもなく岩場に座って、海を見ながら念願のしま弁を頂きました。最後にタコの天ぷらを食べるのが私の密かなお楽しみ。食べ終わって干潮の合間に岩場を乗り越えて、外海側の浜辺も発見。見事な風景でした。

 

白い灯台はジブリの世界
浜を堪能したあといよいよ灯台へ。しろんご浜を上るとすぐに白髭神社があります。お詣りして標識に従ってしばらく進むと道が二手に分かれていて「菅島灯台」と標識があります。『前回、なぜこれを見逃したの!!』悔しくてカメラに収め、分岐点を右に戻るように進めば何とも風情のある白い灯台が見えてきました。点灯されてから150年、現存する最古の「菅島灯台」、今年文化遺産に認定されました。
白い灯台、咲き乱れる花々、青い海のどかに浮かぶ白い船々…「魔女の宅急便」でキキが見た風景がそこにありました。

 

監的哨跡
話は変わるのですが、他界した私の父は戦時中、志摩半島に居たと聞いています。そのころ半島ではすでに食べ物が少ない大変な時期だったのに、父は「お腹いっぱい美味しいものを食べさせて貰ってた」と言ってたことを、灯台からの帰り道「監的哨跡」に上った時に思い出しました。
鳥羽市街、坂手島、答志島、神島を一望に見ることができ、そこに洋々たる豊穣の海が横たわっていました。

新たな挑戦!
定期船乗り場に戻ると、おかげやさんのご主人に偶然会う事ができました。そして今日行ったルートと真逆の方面に「大山」に上る長いハイキングルートがある事を教えてくださいました。

心はすでに決まりました。
次は大山へハイキング!

まずは小寺めぐみさんから頂いた見事な「あらめ」をどう料理しようかと思案中です♪

 

プルックサラナン真千代

鳥羽市移住コーディネーター 

各国での海外生活30年を超えて、今年の4月にようやくバンコクから帰国。 “海のある暮らし”で検索し鳥羽の魅力を知り鳥羽市へ移住。毎日、鳥羽の素晴らしい景色や食べ物に幸せを感じ過ごしています。そして太極拳の師範歴16年。