目指せ歴女~とば歴史めぐり~ その弐

前回、「鳥羽城跡地案内図」を元に写真で①~⑨までご紹介しましたが、違う場所にも建て看板がありました!よく見てみると前回の続きがありました。今回も⑩~⑱を前回と同じように写真にてご紹介!

⑩伊良子清白の家
明治期に活躍した詩人で、大正11年に鳥羽の小浜に移り、以後22年間住んでいました。
住居兼診療所として使われ、北原白秋や西条八十も訪れています。この家は平成21年に鳥羽に移築されました。

 

⑪鳥羽市歴史文化ガイドセンター
千代田生命保険会社を設立した門野幾之進の家跡(門野幾野進記念館)に併設され、ボランティアによるまちのガイドを行っています。

⑫日和山
鳥羽に立ち寄った廻船の船頭が明日の天気を見るために登った山です。
かつては御木本の茶店もあり、松尾芭蕉の句碑や無線電話発祥記念碑も建てられています。
広場には文政5年(1822年)、灘の樽回線中が寄付した十二支が刻まれた八角の方位石(市指定文化財)が残っています。
(※10月4日現在 通行止めになっており復旧は未定のようです)                              写真は以前の写真を使用しています。

⑬賀多神社
毎年4月初旬の春祭りに薪能(たきぎのう)が奉納されます。
能面、能衣装、組み立て式舞台1組は県指定文化財。
九鬼嘉隆が日本丸を作る際、この神社の木を使い、その後に千本の杉を植えたと伝えられ、
そのうちの1本の老杉が今も残っています。

 

⑭常安寺
九鬼家の菩提寺。嘉隆の息子である守隆が改築し、常安寺と改めました。
境内には守隆が寄進した石灯籠や鰐口、九鬼家の廟所、稲垣氏歴代の墓碑があります。
ほかに嘉隆自害の短刀、嘉隆肖像画など、多くの文化財があります。

⑮江戸川乱歩館
嘉永3年(1850)の建物で、昔から雑貨・煙草店を営んできまいた。
現在は「みなとまち文学館」として公開しています。

⑯御木本幸吉誕生地の池
御木本幸吉は安政5年(1858)に鳥羽のうどん屋「阿波幸」の長男として誕生しました。
うどん屋は残っていませんが、その跡地に石碑が建っています。

⑰土路屋河岸
昭和30年頃まで伊勢の土路(現・伊勢市東豊浜町)と交易があり、
土路からの船が多く着いたことから土路屋河岸と呼ばれました。
そばには青果市場がありました。

⑱鳥羽大庄屋かどや
天保年間から庄屋を務め、同時期から三僊堂という薬屋も営業していた廣野屋の旧宅を一般公開しています。
屋号は「かどや」。鳥羽を代表する旧家でした。
主屋は文政8年(1825)薬用具が納まる内臓は明治16年(1883)の建築で、国登録有形文化財です。

 

日和山には行くことが出来ませんでしたが、今回も散歩コースとして外観だけを歩いて見て回りました。
伊良子清白の家・江戸川乱歩館・鳥羽大庄屋かどやは中も見学できます。是非、お越しの際は中も見学してみてください。

 

CHIKUSA

とばる編集部員

鳥羽市内の山の方に住む一児の母。 今はヤンチャな息子に振り回されています。 最近の趣味は息子と鳥羽・伊勢志摩地域のアレコレを探訪しています。